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昭和初期のお宮さんの前での集合写真です。
現在、拝殿前にある狛犬ではなく、古い狛犬なので、
昭和18年以前の写真であると思われます。
(写真:加古川市立志方小学校
創立100年記念誌「栄の流れ」より)
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現在と違って西参道が、全く舗装されていません。
志方中学校の体育館もありません。
大屋台がたくさんあった時代には、
この未舗装の西参道雄を担いで
登っていたことになります。
左上に山門と倒壊前の能舞台が見えます。
(写真:加古川市立志方中学校 創立五十周年記念誌 「明日への一歩 今、踏みしめて」より)
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撮影された年代など一切不明です。
当宮境内北にあった旧誠忠碑の周りに、
笹が立てられ縄が張られ、
たくさんの兵隊さんが写っています。
旧誠忠碑の落成式でしょうか?
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詳細は不明ですが、昭和15年頃の
写真だろうとのことでした。
拝殿前の狛犬が以前の古いものなので、
昭和18年以前の写真のようです。
写真の法被やマトイには
「志方町(しかたまち)消防組」
と書かれています。
(写真提供:東町・F様)
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何らかの祭りの際に撮影されたと思われる
写真ですが詳細不明です。
まだコンクリート補強する以前の
能舞台前の階段前での子ども達の
集合写真です。
(写真提供:東町・F様) |
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氏子内に、徳川御三卿・一橋家天領の庄屋と
姫路藩 西牧組 大庄屋の二人の庄屋がいたことから
その御当主が御着座するために設けられた
東西に見所を持つ能舞台は全国に他に例を見ず
昭和37年に兵庫県文化財の指定を受けましたが、残念ながら昭和40年9月10日に発生した
台風23号により倒壊しました。
この際の兵庫県の本格調査で
「寛文四年(1644年)8月建立」の銘文が
発見され、我が国最古の京都・西本願寺能楽堂の
次に古い能舞台であったことが判明しました。
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旧能舞台・東見断所(見所)です。
ここに徳川御三卿・一橋天領の庄屋の玉田家の
御当主が御着座したとされています。
旧社務所の屋根が、まだ茅葺です。 |
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旧能舞台・西見断所(見所)です。
ここに姫路藩・西牧組 大庄屋の内海家の御当主が
御着座したとされています。
上記の東見断所と合わせ、東西二ヶ所所見断所を
有する能舞台は、全国にも他に例がなく
当宮能舞台では、この東西の見断所に
玉田家と内海家の御当主2名が揃わないと
能の開演が許されなかったとされています。
かつて境内にたくさんあった
大きな松の木も懐かしいです。
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平成4年の太々(国恩祭)の記念事業として、
宮司と氏子の念願だった能舞台が再建されました。この能舞台は、伊勢神宮式年遷宮に伴い、
伊勢神宮の入口である五十鈴川に架かる
宇治橋の架け替えの際の古材を拝領し、
また能舞台再建の為に保管されていた
旧能舞台の古材を使用し再建されました。
もちろん当宮の自慢である
東西の見断所も再建されています。
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同じく平成4年の太々(国恩祭)の記念事業として再建された能舞台です能舞台の背景の松の絵は、
境内にある地元・志方中学校の
美術部の生徒によって描かれたもので
当時はマスコミにも大きく取り上げられ
話題となりました。
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平成18年、当宮 春祭で奉納された
古式四条流庖丁式の様子です。
庖丁式は、名だたる料理人が、
大神様にお供えする素材に
一切手を触れることなく、
庖丁と魚箸を駆使してさばいていくもので
当宮春祭では、毎年、能舞台で
鯛がさばかれ、奉納されていました。
(写真提供:山中・H様)
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