〒675-0321 兵庫県加古川市志方町志方町301-2
天永2年(1111年)に志方庄宮谷に創祀せされ、はじめ妙見大明神として崇敬せされたが
名桜元年(1492年)に、志方城主 櫛橋 左京亮 伊則が、志方城の鬼門を守るため
現社地に奉還し、八幡神を勧請、志方庄30ヶ村を総鎮守したという。
寛文4年(1664年)8月に能楽堂建立、神領5石
姫路市網干区の魚吹八幡神社・赤穂市尾崎の赤穂八幡宮と並び「播磨三社八幡」の一社として
また旧縣社格のお宮として格式が高く、古来より厄除・安産の神として、また当地は古くから
有馬道・北条街道・小野道・法華道など多くの街道が走ることから、交通の重要拠点として、
氏子村の一部が、徳川御三卿である一橋家の天領となって、庄屋が置かれただけでなく、
氏子の中に姫路藩の大庄屋・西牧組が配置されるなど、陸路の交通の要所として発展し、
その地の当地の氏神であった当宮は、交通安全の神様として崇敬が高い。
通称は、志方八幡宮、志方八幡神社、志方大宮、八幡神社、八幡さん、志方妙見さん、
志方の宮。
当地の言い伝えでは、宮谷にあった当宮を志方城の鬼門に位置する現社地に勧進した
志方城主 櫛橋 左京亮は、黒田官兵衛・正室の光姫の曾祖父と伝わっており、
きっと光姫も、生まれ育った志方城の鬼門を守る当宮に参拝されたことでしょう。
〒675-0321
兵庫県加古川市志方町志方町301-2
TEL.079−452−0052
FAX.079−452−1923
Butterfly dance.htmlへのリンク